市根井

群馬在住のフリーライターです。

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「今の自分は正しいのか」は、今の自分には判断できない

自分の生き方や働き方を肯定するのは、凄く難しい。何かに影響されて行動してみると、反対の意見が目につくようになる。読んでみるとこれまた納得してしまうので、今度は反対方向に走り始める。そんな自己破壊を繰り返していると何をやっていても間違いな気がしてきて、継続できなくなる。本を買ってみたり、勉強会に行ってみたり、たくさん人に会ってみたりするけど、それぞれから異なる価値観でぶん殴られる。色んな視点の意見を聞いてみると、大体にバックグラウンドがあることが分かり、心から批判することができなくなってくる。「どうせ何を見ても何を聞いても不安になってしまうのなら、何もインプットしなければいいのでは」と考えて情報を遮断すると、今度は「もしかして、独りよがりになっていないか」が襲ってくるので、勉強をやめるわけにもいかない…………最近はこんなことばかり考えていたけど、ふと本棚にある千葉雅也『勉強の哲学』の、いちワードである「比較の中断」を思い出した。勉強(比較)は自分で中断しないとキリがない。勉強の途中の半端な根拠づけを破壊しつづけることは、「世界の絶対的な真理」を求めることになってしまう(そんなことは普通の人間には無理)。だから比較を中断して、結論を仮固定しておく。そして、そのうち比較を再開する。この「結論を仮固定する」っていうのはマジで大事なんだな、と改めて思った。よく考えてみると、「今の自分の生き方は正しいのか」を「今の自分」が判断することなんて、まず無理ですわ。正しいかどうかなんて、今が過去になってからじゃないと分からない。つまりこの問題は、未来の自分が判断するものだ。もっと言えば、人生全てを肯定できるのは死を受け入れてからじゃないと無理な気もする。身動きが取れなくなって勉強・比較をやめ、変化が止まることが一番恐ろしい。間違った道を進むよりも、そっちのほうが怖い。だからもう、よく分からんけど動こう。その道が間違っていたとしても、何かしら残る。